人事制度作りを始めるにあたり、その目的という位置づけでよく挙がるテーマとして、「やった者に報いる」ということがあります。程度の差はありますが、このような成果主義的な要素は、何らかの形で取り上げられることが多いものです。
そもそも「やった者に報いる」ということがいったい何のためかといえば、それは努力をして結果を出した者が、主に金銭的な見返りを得ることで、さらにやる気を出して成果、業績に結びつけるということでしょう。また、それを見ていた周りの人たちも刺激を受けて競争心を燃やし、相乗効果につなげようということでしょう。
では、こうすることで本当に大多数の人のやる気が出て、成果や業績につながるのでしょうか? 無論そういう部分はあるでしょうが、多くの人は「金銭的な見返りがあるのは良いが、それがすべてではない」という感じではないかと思います。
人を動機づけする方法として、成果配分のようなお金の見返りがすべてではないということですが、このように、いかにも人事制度の主目的に見える「やった者に報いる」ということも、制度の中で言えば「成果配分をどうやって行うか」という観点だけでの話で、人事制度の中でのごく一部の話にすぎません。
これ以外にも、制度作りを行う上でのいろいろな考え方がありますが、それらは、あくまで人事制度の中の一部の話ということが大半です。人事制度本来の目的を達成するための一つの方法にすぎないということを、しっかりと理解しておく必要があるでしょう。
本当の意味での人事制度の目的は、いろいろな価値観を持った人たち(会社の人的資源)の理性、感情を刺激し、これをいかに業績にむすびつけるか、いかにやる気が出る環境を作るかということです。定番でよく言われるのは、「重要な経営資源である“人材”を活性化する」ということで、その目的達成を仕組みの面で支援するということです。
この目的達成に向けた具体的な方法はというと、例えば
などということになります。
これらはあくまで、人事制度の目的達成のための手段にすぎませんが、制度を運用している中で、徐々に本来の目的と置き換わっていってしまうことがあります。
「公平さを意識しすぎて、画一的な冷たい対応や悪平等を生んでいる」 「“これは決まりだから”と言って説明を省いてしまう」 「制度運用がマンネリ化し、単なる作業と化す」 「書類に記入して提出するという事務的作業に終始する」 など、制度上の決まりをこなすことばかりが意識されるようになり、そのこと自体が目的化していきます。
これではかえって、人事制度本来の目的である「人材の活性化」を妨げることになっていきます。目的と手段の混同には、十分な注意が必要でしょう。